昆布辞典 | 段野昆布 - 創業1834年(天保5年)

昆布辞典

おぼろ昆布

昆布を酢で柔らかくして、表面を刃物で薄く削ったもの。昆布表面の黒い皮も一緒に削ったものや、その黒皮を別に除いたうえで芯の白い部分だけ削ったもの(=太白おぼろという)があります。また、芯の部分を特別に広く長く丁寧に削った竹紙昆布(チクシコンブ)は高級料理に使われます。

昆布用の刃の使い方はカンナ削りのようにするのではなくて、鋭く砥いだ刃先を別の鉄で反りまげて、その反った部分で昆布を引っ掛けるように削ります。この刃を反り曲げるようにすることを「アキタを引く」と言います。こうすることによって昆布が0.03~0.05mmという薄さに削られます。

また、こうして表面から削られてできた芯の白い部分の昆布を下地(シモジ)、または霜地と言います。これを寸法切りしたのが白板昆布やバッテラです。

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乾燥塩昆布

昭和36年に大阪の山本利助氏が製法特許を取られ、ブームを巻き起こすほどの売れ行きになりました。塩昆布を自然乾燥または熱乾燥して粉を吹かす方法もありますが、ほとんどは乾燥させた昆布に調味料の入った粉をまぶしてあります。

名称については「汐吹き昆布」など各社異なるようです。東京発の情報では、柔らかく炊き上げた塩昆布の事を《佃煮》といい、乾燥塩昆布の事を《塩昆布》というようですが、関西では塩昆布は柔らかいもの、乾燥させたものは乾燥塩昆布や汐吹き昆布です。ちなみに佃煮は惣菜風に炊いた昆布を指します。

こんなところにも食の風土の差がまだあるのですね。

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刻み昆布

刻み昆布とは、昆布を煮て柔らかくし、1mm位に細く切断したうえで乾燥させたものです。本格的に作られるようになったのは享保6年(1721年頃)大坂からと言われています。当初は包丁で切っていたのですが、宝暦年間(1750年頃)に京極若狭之助がカンナで削る方法を考え出しました。刻み昆布が別名「京極」と言われる所以です。

幕末から明治年代、大量の刻み昆布が中国に輸出されました。明治29年~33年の5年平均で、昆布の中国輸出が40,500千斤、内訳は普通の昆布がその86%、刻み昆布が14%でした。そしてその輸出積出港は横浜港68%、神戸港15%、大阪港0%、長崎港0%、函館港17%、その他0%でした。このころ関東に刻み昆布を製造する業者がたくさんあったことを示しています。刻み昆布の生産地は敦賀などにもありましたが国内向けで、あくまで輸出向けでは関東がダントツだったのです。

昭和初期から戦後しばらくまで、刻み昆布は特に西日本の九州や四国南予で大量に消費されました。お盆が近づくと精進料理用(かぼちゃとの炊合せ等)に貨車積みで大阪からも送られました。残念ながらその消費は現在ではほとんど無くなりました。食生活の変化ですね。

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昆布巻

「市隠月令」(村田了阿著、江戸の国学者、文化年間1804~1818年)に『昆布巻売る声、寒けれど陽気をふくめり』。「嬉遊笑覧」(喜多村信節著1830年、江戸の国学者)の中に『応仁別記。落書云。

貞親は『近江の浦の鮒なれやめにまかれてそ口に入りける 是は今の昆布巻などにや』とあって、すでに室町時代に昆布巻があり、江戸時代には江戸市中に昆布巻売りの行商人がいたことがわかります。昆布巻売りは明治大正時代には大阪市中でも見られ、兵庫県高砂市出身の昆布関係者によれば戦後しばらくしても高砂市内で見かけたといわれます。

現在では鰊や鮒だけでなく、牛肉等まで具材に巻く1本1,000円を超すものから数円程度のものまでさまざま売られています。

なお、落語に「昆布巻芝居」があり、商家での鮒の昆布巻の味醂だきを題材にした芝居噺であります。

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塩昆布

発祥の時期は定かではありません。昆布の需要が拡大する中で、味噌と一緒に煮込むなどその原型は平安時代からあったようです。江戸時代に佃煮ができるようになって昆布佃煮も作られた可能性はあります。関西では塩昆布は基本的に過程で炊くものでした。明治36年大阪の天王寺公園で開催された内国勧業博覧会では有名小売店が数社塩昆布で表彰されています。昆布屋で広く買い求めるようになったのは太平洋戦争後しばらくしてからです。昭和30年代に乾燥塩昆布が発明され、昭和45年の万国博覧会をきっかけに塩昆布・乾燥塩昆布は典型的な大阪名物となりました。

その後の食生活の変化からその需要は漸減しています。

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汐吹き昆布(汐吹昆布)

「乾燥塩昆布」の項をご参照下さい。

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すき昆布

若い柔らかい昆布を熱湯に入れて鮮やかな緑色を出させ、後に数mmの幅に切断したうえで海苔を漉くように広げて乾燥させたものです。水や湯で素早く戻したうえでサラダや煮物に使われます。三陸沿岸で生産され、特に関東から東北でよく食されています。

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白板昆布

「おぼろ昆布」の項をご参照下さい。

表面をおぼろやとろろ昆布に削り取られた後の下地を、標準化された大きさに裁断されたものが白板昆布です。規格はクジラ尺で、尺6(シャクロク)とは1尺6寸です。

尺6 16×60.6cm
尺4 14×53.0cm
尺2 12×45.4cm
尺1 11×41.6cm
尺○ 10×37.8cm
8寸 8×30.3cm
7寸 7×26.6cm
6寸 6.5×22.8cm
5寸 6.0×18.9cm
バッテラ 4.8×14cm

松前寿司、魚〆用、阪神間では正月の鏡餅飾りに、高知・南紀では海苔のようにこれで巻いて、昆布寿司などに使われます。

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酢昆布

広く食べられるようになったのは明治になってからのようです。基本的には自宅で甘酢に漬けただけのかなり固いものでした。大阪南の新地の芸者さんが心斎橋筋の昆布屋へ買いに来て、巻かれて引出しに入っている酢昆布の品定めをして買っていったとか、10cmくらいに切って50枚づつ藁で束ねて松屋町筋で売っていたとか、紙芝居に付きものだったとか聞いています。

戦後は加工技術や調味料が発達して、昆布を蒸して柔らかくし食べやすくして調味料で味付けされています。

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手がき(手すき)とろろ昆布

「とろろ昆布」の項をご参照下さい。

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とろろ昆布

とろろ昆布には手製と機械製とがあります。歴史的には手製が先です。

手がき(手すき)とろろ

削る包丁は「目打ち包丁」です。刃渡り10数センチの刃に別の刃物で200以上の目を打ちます。横から拡大すると丁度細かいのこぎりのような状態です。昆布を酢で柔らかくしてこの包丁でこそげます。おぼろ昆布と同じく、昆布の黒皮を一緒に削ったものと、芯の白い部分だけを削った白とろろが出来ます。

機械製とろろ

手がきとろろは職人の手作りでなかなか量産できません。明治36年広島の辻本寅吉氏によってとろろ製造機が発明されました。昆布を積み重ねてプレスして押し固め、そのブロックを横倒しにしてそこに刃を当てて削ります。下地(おぼろ昆布の項参照)を削ると真っ白い白とろろとなります。また削っていない黒皮のままの昆布を削ると、丁度その黒皮と芯の白い部分とが交互に見えて、きれいな縦縞模様となります。現在はこのようなとろろ昆布がほとんどです。

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暖簾

暖簾

「暖簾」は山崎豊子さんの処女作です(1957年―昭和32年―発刊)。

主人公八田吾平は明治29年に淡路島から15歳で大阪に働きに出て、昆布商浪花屋で修業を重ねて独立、息子の幸平が戦中戦後の混乱期を乗り越えて店を再興する、という小説です。

山崎さんは1924年(大正13年)に大阪の老舗昆布店株式会社小倉屋山本の三代目社長山本利助氏の妹に生まれ、2013年(平成25年)9月に89歳で亡くなられました。京都女子高等専門学校(現京都女子大)卒業後毎日新聞社に勤務、当時同新聞社の学芸部デスクであった故井上靖氏の薫陶を受けました。その後作家の道を進まれ、生れた処女作が生家の昆布屋を舞台にした小説「暖簾」であったのです。

山崎さんは「思えば、『暖簾』を書くことによって、多くのことを学び、畏敬する知己を得ることが出来、作家の一里塚を築き得た。人から一番、好きな作品はと問われると、処女作『暖簾』と答える。」と述べておられます。

この小説はすぐに映画化、劇化されて、「昆布」が広く全国的に知られるようになり、大阪のみならず当時の全国の昆布業界がたいへん活性化しました。
昆布コラム欄をご参照下さい。

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バッテラ(昆布)

「白板昆布」の項をご参照下さい。

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ほいろ昆布

『をこたり草に 昆布にて製するみづからといういふものあり(中略)今は唯焙爐昆布をみづからといふはあたらすと言へり(中略)菓子として食ふ昆布をいふ』
江戸時代元禄以前から広く菓子昆布としてあったようです。

昆布を酢で柔らかくしたうえで短冊切りしたり、それにひねりを加えたりしたものを焙煎してカラカラに乾燥させ、好みで砂糖などをまぶします。太平洋戦争前までは一般的な菓子の一つとして食されましたが、戦後多数の菓子が出現し、その需要も漸減。今は本格的に製造する技も絶えました。

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りゅうひ昆布(竜飛または牛肥とも)

蒸して柔らかくした昆布に酢と砂糖を浸み込ませたもの。白身の魚を巻き込むなど高級料理に使用します。

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山出し昆布

道南産の高級真昆布を指します。海から採れるのになぜ?とよく聞かれます。諸説あって、昆布の積出港の箱館へ山を越えて運ばれてきたから、とか、旧の言葉遣いに「山出しの○○」という無垢な穢れのないという意味で使われることがありました。後者の、何も加工されていない質の良い昆布ですよ、という方が妥当ではないかと思います

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